四苦八苦に色をつけるのは
おはようございます!
富山県射水市小杉を中心に、人と住まいを結ぶ不動産屋 株式会社リボンの米山勝規です(*^_^*)
昨日は
倫理法人会事務経理分析
ランチミーティング
お通夜
でした。
親戚のおじいちゃんが亡くなり、通夜に参列してきました。
受付や会葬御礼をお渡しするなどのお手伝いです。
僕の地元では、町内の同じ班の人たちで手分けしてこの役割を担います。
逆に近しい親族は故人のそばに居ていただくかたちです。
※僕は血縁的には親戚でしたが実家を出ているので「同じ班」枠での参列
富山県内では比較的このような風習が多いように感じますが、都会ではあまりないのかもしれません。
故人は祖母の弟であり実家の隣のおじいちゃんでもありました。
幼い頃は僕が悪いことをしたら叱ってくれる人でもあり、
いつもニコニコしている印象が今でも残っています。
晩年の今年5月より肺がんを患い先日容態が急変したかたち。齢83歳でした。
地元の同じ班の方に、年輩の方で賑やかな方がいます。
事あるごとに周りのメンバーを巻き込んで笑ったりするムードメイカーです。
けど、連日の訃報に少し落ち込んでいた今回のお通夜の準備段階でもそのような感じだったので、正直少しムッとしました。
そんな調子で準備を進めていた何かの折に、僕の気持ちを察してか、その方は言いました。
「80超えてからの葬儀は賑やかにやれる。けど、お前くらいの年齢やったら悲しくて賑やかにできんやろ。だから死ぬなよ。だから今日は賑やかでいいんや。俺が死んだ時も賑やかにやってくれ。」
と。
葬儀に関しては色いろな意見があるものの、逆に必ず「悲しさ」を一貫する必要もないわけで、その方も様々な死と向き合ってきた方であろうし、よく考えたら昨年お母様を亡くされているはずです。
確かにそういう側面もあるかもしれないな、と感心しました。
死という重く切なく取り返しのつかない事実について、どのように受け止めるのか。
人それぞれ状況によって異なりますが、場合によっては内的な受け止め方には選択肢があります。
誕生、老い、病気、死。
その昔、釈迦が悟り「四苦」と表現したそれぞれの事柄に、色をつけていいものか迷いつつも、まだまだ悟りの境地には程遠い今は、前向きな色をつけていきたいと思い、ついでながら「四苦八苦」全てにどのような色をつけるかは自分次第だと理解したい。
隣のおじいちゃんからの最期のメッセージを頂けた気がします。
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